東です。もう入社して三年目も終わろうかという頃です。早いものです...
今回は技術のことについてはお話しません。目新しいことに触れる機会は減ったし、技術者として極まった人たちは他に沢山いらっしゃるので、僕は僕の書きたいことを書いてみることにします。 チームについて書いたことですが、僕は今のチームを批判する目的で書くわけではないことを先に断っておきます。尊敬できる人達で構成されたチームだけど、もっと良くなりたい。この記事を書くモチベーションとして明確にしておきます。
あと、以下からは語り口が違いますが、僕にとっての地の文なのでご容赦ください。
なぜこの話題を取り上げたか
今働いているチームが最高のチームだと自信を持って言えないし、ましてや自分が最高の仕事をできている自信もない。これは自分だけではなく世の中の多くの人がそう感じていると思う。しかし、何がそう感じさせるのだろうか。何を課題に感じているのか。もしくは、何があれば最高といえるだろうか。
今どんな課題を抱えているか
スプリントでコミットしたチケットは毎回落とすのに、チームからは危機感が失われている。チーム内での話し合いや、ステークホルダーを交えての話し合いでも、活発な議論は行われない。ステークホルダーからは、エンジニアからは提案がないと言われる。スプリントごとにチームの改善策を打ち出しているが、いざやってみると忘れられたり守られなかったりする。
どんな切り口で分析するか
現在はうまくいっていない感覚があるが、今までもずっとそうだった訳ではない。これまで属してきたチームの中では、逆にうまくいっていたと思うケースもたくさんある。うまくいっていると感じたチームにはどんなものがあり、どんな特徴があっただろうか。 過去を思い返してみると、誰しも成功体験があると思う。成功体験からそれを探りたい。素晴らしい人と関わってきたから話したい例はいくつでもあるが、共感しやすそうな例に絞る。
うまくいっていたと感じるチーム
学生時代の部活動
中学校・高校は多くの人が部活動をしていたと思うが、自分も例に漏れず部活動をやっていた。その時は運動部で、定期的に大会が行われていたので、皆それに向けて自分の能力を磨いていた。その部活動はチーム競技だったので、自分の能力だけで勝てるわけではない。皆でどう攻めるか・守るか、そのためにどんな連携が必要かは全員が必死に考えていた。
どんなチームに育て上げて他のチームと戦うかは監督が考えていて、定期的にその方針はチームに伝えられた。それに合わせて練習も変化した。いざ試合になれば全員が本気になり、監督の指示をよく聞き、互いを鼓舞し、常に最善を尽くすことと失敗しても皆でカバーすることがなされていた。試合に出られなかった人も、応援や補給の手伝い等自分のできる仕事を率先してやっていた。
ゲーム制作のアルバイト
大学に入ってからはアルバイトに打ち込んだ。もちろん、大学で一番大事なことは高度な知識を学び研究成果の形にすることだが、関わる人が増えたことで可能性が広がった。自分はゲームが大好きだったので、ゲーム制作のアルバイトをやっている友人達ができてからは、寝食を忘れてそれに熱中した。当時はまだコードを書くことが大嫌いだったので、趣味から発展させて音楽を作っていた。
残念ながら実力が伴っていないので薄給だったが、ディレクターやエンジニアやデザイナー(全員学生アルバイトなので、それらのたまごくらいが正しいかもしれない)が試行錯誤を重ね、目の前でゲームができあがってくる体験は本当に楽しかった。良いゲームを作りたかったから意見出しも活発だったし、テストプレイなどできるところは手分けして、役割を超えて協力できていたと思う。
ハッカソン
大学院に入ってからはハッカソンに出まくっていた(もちろん、大学院で一番大事なことはry)。ハッカソンというものは数時間から一日前後でプロダクトのアイデアだしからデモ動作できるまで作り上げるイベントで、最後に審査員達にプレゼンするコンテストの一つである(そして、大抵は賞金や副賞がある!)。周囲の優秀なエンジニアの仲間たちはたくさんの知識を未熟な自分に提供してくれたし、自分もそれに報いようとたくさんのアイデアを試しプロダクトに反映させた。
一度のハッカソンで使える時間は限られているので、前準備や調査・連携も綿密に計画しなければならないし、作業効率の面で分業せざるを得なかったし、自分の作業に集中しなければ全然間に合わない。それでも、作っている最中にプロダクトに疑問を持ったり、課題にあたったときには即声を上げて、皆が相談にのってくれる雰囲気ができていた。競争相手を出し抜き、自分たちが最高のものを作り上げるチームだと思っていたし、それを証明したかったからだと思う。夜中の2時にどんでん返しするのは辛かったが...
うまくいったと感じる要素は何なのか
実際のところ大変な時もあったが、上記のように書き出してみると、なんとなくうまくいっている感覚は伝わると思う。この感覚が何なのかを確かめるために、何冊もマネジメントや組織論の本を読んだ。特に、サイモン・シネック氏の本とTEDの講演は的確だった。
どうも重要なのはビジョン(あるいは理念、WHYともいう)を掲げ、共有することらしい。
試合に勝ちたい、楽しいゲームを作りたい、最高のプロダクトを作りたいというビジョンが共有できていたから、意見を出し合えたり、助け合えたり、お互いの仕事に集中できた。お互いがビジョンの元に最善を尽くしている感覚を持てていたからだ。自身が最善を尽くせるのも、ビジョンが自分自身のもので、やりたいことだったからだ。孤独感もなかったし、相手を信頼できたし、金や時間といった利害関係を超えて協力できた。
...月並みな答えにたどり着いてしまった?🤔
自分たちはビジョンを共有できていただろうか
会社に入るときは経営陣の示す会社のビジョンを目にするし、チームに入るときは何らかのビジネスインパクトを生むためのチームのビジョンを目にする。ビジョンの文言は記憶しているけれど、その意味・背景を知った上で自身の共感は得られ、自分のものとして獲得できているだろうか。
例えば、アジャイルにおける可視化のプラクティスの一つ、インセプションデッキを対象に考えてみる。インセプションデッキには、なぜ我々がここにいるのかという問いかけがある。これはプロジェクトのビジョンだ。プロジェクトの起源を明文化したもので、最も自分達の行動原理に近いものだ。今あらためて読み返してみて、共感できるだろうか?自分はできなかった。状況が変わり、作っているプロダクトの方向性も変わったのに、インセプションデッキはホコリをかぶったままだった。
プロダクトに情熱を傾けない人もいる。自分もどちらかと言うとこちらのタイプだ。誰かの課題を解決するプロダクトを作っているけれど、その誰かは自分ではないし、誰かの課題が解決されている実感もない。一方で、自分はともに働くチームについては情熱的で、常にチームをより良くする提案を欠かさなかった。しかし、この提案は機能することが少なかった。振り返ってみると、どんなチームで働きたいかについて、チームで話し合うこともせず、独りよがりなチームのビジョンを持って働いていた。どんなチームでありたいかのビジョンを、チームで共有できていなかった。
どうすべきと結論づけたか
ビジョンを共有するということは、言葉に出すことは簡単だが、想像以上に難しい。他人は、自分とは異なる人生を歩んで作られたバックグラウンドをもち、自分とは異なる価値観を持ち、考えを完全に理解したり伝えたりすることはできない。とはいえ、対話をしないことにはこの意識の差は一生埋まらない。
良いチームにしたい、良い仕事をしたいという思いを明確にした上で、何が自分達の欲するもので、どんな状態を目指したいのか。対話を通してビジョンを自分たちのものとして獲得しなければならない。
そういった機会がないのであれば、まずその機会を作ることを気づいた人が提案をしなければならない。良いチームと良い仕事をしたい、それが自身のビジョンなのだから。
その考えのもと、自分はどうしたのか
恥ずかしながら、チームに対してはまだ行動を起こせていない。チームは目の前のことに手一杯で、やりたいことよりもやらないといけないことが多すぎるし、何より自分が素直ではないせいで提案にまで至れていない(マネージャーではないので、マネジメントについて語ることに気恥ずかしさもある)。しかし、採用や教育・組織の観点でビジョンを共有できるよう、中期での振り返りや話し合いの場を作ることができた。特に、組織観点ではきっかけを与えてくれるし支援してくれる人もいたことが大きい。この組織には、何かを変えたいと思ったときにちゃんと相談できる人達がいることが素晴らしいと思う。
おわりに
こういった話はエンジニアブログで今まで書かれることはなかったし、書き終えてみてまだ気恥ずかしさは拭えない。マネジメントも人と人との関係のエンジニアリングだろうから、大目に見てほしい。
最後になりましたが、セプテーニ・オリジナルは新卒・中途採用をしています。優秀な方、情熱的な方、一緒に働きましょう。僕もカジュアル面談でお待ちしております。